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代表野口の資格・検定研究ラボ - 検定のすゝめ
コラム

資格・検定に意味はあるのか?

Value of Qualifications

最近、「資格・検定に意味はあるのか?」という質問を受けました。
結論、意味はあります。
なぜそう思うのか、その理由について論理を展開していきたいと思います。

自分にとって意味があるかどうかを決めるのは、自分が現在置かれている環境や境遇による判断基準で決めるものですので、他人が決めるものではありません。

では、第三者的に意味があるのか?という質問だとしますと、それは人によって異なるという答えになります。

ただし、それは強制されるものではないため、本人が意味があると思って受けているので意味がないわけがない。
意味が無いなら受けなければよいということになります。

では、意味があると思って受けたが受けた後で判断すると価値が無いと分かった場合は?
なるほど、それは確かにありそうすね。しかし、果たしてそうでしょうか?

その人は資格・検定自体に価値が無いと言っているのですが、恐らくその資格・検定を取得するために学んだ知識は身についているはずです。

この学んで得た知識こそが最も大事なものと言えるでしょう。
自分で選択した分野の知識であれば尚更です。

福沢諭吉は「学問のすゝめ」において、

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず~」

と論じています。

但し、この言葉は往々にして勘違いされがちですが、人は平等で差別とかの無い社会を説いている聖人君子の言葉ではありません。

この言葉には続きがあります。続きを要約すると以下となります。

「されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり
貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。」

「されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」

簡単に訳すと、「でも世の中に貧富の差も地位の差もあるじゃないか。
それを生み出しているのは、結局は学ぶか学ばないかである。だから学びなさい。」
と論じているのです。

現在の日本は、学ぶことも職業選択も主張するのも自由です。
自ら自分の生きる道を選択できます。男女も平等です。
全ての道は自分で選択できるのです。

できる人間が評価される。できる人間とは?=努力をしている人間だ。
人間の能力に大した差なんてない。
本気で努力をした人間が努力していないただ才に多少恵まれた人間に負けるわけがない。
負けているなら、まだ本気で努力を積み上げていないだけだ。

つまり努力をする事で人生は明るく切り開く事ができ、その努力をするという事はその世界で成功するために必要な知識をつけ、学ぶ事であると言えます。

また学びは習慣性があり、訓練をすれば簡単に習得スピードを上げられますが、日頃から学んでいない人は学ぶ姿勢を作る事ができず、同じ内容でも習得に時間がかかり注意力も散漫で身に付かない場合が多いのです。

これは読書の習慣と似ていると言えば分かりやすいのではないでしょうか。

結論として、受けた後に意味が無いという主張に関して、あなたが必要と思って選んだ分野の勉強・知識が役に立たないはずはないのです。

つまり資格・検定取得にかけた労力が意味が無いという事はあり得ないという事になります。

仮に本当に意味が無いパターンがあるとすれば、それはその試験を選択した事が間違っており、それは本人の問題で、その資格・検定に非があるものではありません。

つまり命題の「資格・検定に意味はあるのか?」という問いにおいて、いずれでも意味・価値があるという答えが導かれます。

否、まだ***の場合、意味が無いだろと言いたい方はおられるかもしれませんが、それは逆に前述のメリットのある部分を無視しての論理展開であり、ある部分で意味が無くても、ある部分で意味があれば総論として意味がある事になるので、結果、意味があると結論づけられます。

最後に、資格・検定主催者様に試験問題の制作においてお願いしたいことがあります。

合否の難易度調整も重要ですが、学んだ受験者たちが、将来この分野や仕事で活躍する場合、本当に必要な知識を身につけることができ、後から資格・検定を取って良かったと思うような本来の目的に即した問題制作を再認識していただければ幸いです。

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